大学受験勉強の思い出

日本 - エピソード

高校2年からはじめた大学受験勉強。予備校ではなく、個人塾に通っていた。平日の放課後、毎日17時から21時まで。たしか。

世界史の小テストの結果が都度貼りだされていた。点数が悪くて、▼マークがついていた。これはかなり悪いという意味だ。授業の席は成績順という厳しさ。しかも2人組にさせられ、連帯責任という。。私の成績が悪かったため、友達を道連れにして最後列に座らされていた。その後その友達のおかげだったか?少しずつ前の席にうつっていったような気もする。

あの頃は1日6食くらい食べていた。近くの中華料理店で中華丼やパイコー飯を食べるのが好きだった。大学生になってから懐かしくなって食べにいったら、ギットギトのコテコテで。当時、それに気づかないくらいエネルギーを消費していたということだ。

塾の方針で、世界史は、1年の間に3回は通しで勉強した。その方が覚えられるからということだった。全然覚えられないと思ったけれど、教科書も用語集もボロボロになった。

いつも予備校の模擬テストの合格判定はよくなかったので、夢の第一志望、憧れの第一志望、そして滑り止めまで、9件の受験することに決めた。結果、赤本を解くのに、死ぬほど勉強をしなければならない羽目になった。

覚えていないけれど、その辛さによく家で泣きながら勉強していたらしい。思い出すのは、授業中は集中できず、家に帰ってから勉強しようと思うけれど、家に帰れば物思いにふけってしまって、勉強が足りていない、ベストを尽くせないまま本番を迎えてしまっていいのかという恐れと焦りを感じていたこと。

私は藁にも縋るおもいで、ネイチャーメイドのDHAを買って飲んでいた。そんなサプリを摂っていた友達は他にいなかった。当時としては画期的だったと思う。薦めても皆興味をもっていなかった。

私が滑り止めと設定した学校さえも、実力に比べて高すぎるのではないかと心配してくれた友達もいたけれど!無事、憧れの第一志望も、そして夢の第一志望も受かった。

あのとき、英文法をものすごく勉強したのに、いつも文章を読んでもなんとなくしか分かっていなかった。勘で解いていた。今の方がよっぽど英文を理解できる。年月が経たないとなじんでこないことってあるのだろう。

世界史は、受験後すぐに頭からごっそり消えてしまった。海外の文化や文学、国際関係などを理解するのに役立つので、これこそ必要な知識なのに。それでも、ケンブリッジの教授夫妻の家でホームステイしたときに、歴史上の人物や年号、作家、音楽家等の名前、作品名がときおり思い出せて、少しは会話についていけたので、助かった。

勉強は決して無駄にならない。もう一度勉強しなければ!

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