ペットロスという言葉では片づけられない気持ち 犬のいた14年半を振り返る

ドイツ - エピソード

愛犬が死んだ。

前日から家のWi-Fiがつながらなくて、夜カフェで仕事をしている合間にメールをチェックしたら、父からのメールが入っていた。数日前から犬の調子が悪くて、今晩がヤマと思われる、気持ちを強くもつように、と。慌てて連絡したら、今死んだということだった。

今頃焼き場で骨になって、余熱も取れているだろう。

一カ月半前に日本を出るときは、元気で、高齢で完全な健康体ではないけれど、まだまだ死ぬような雰囲気はなかった。5月に家族旅行をしたときに、笑顔を見せて、はしゃいでいた姿も思い出される。一時帰国を予定していた年末年始までは少なくとも問題ないだろうと思っていた。

犬を飼い始めた理由

14年半前、猫のようだった私は、犬のように愛嬌のある人になりたくて、犬を求めた。ネットで探した市内のブリーダーのところへ行ってみたら、メスが3匹とオスが1匹いた。元気よく吠えているメスたちの後ろから顔を出しているようなちょっと内気な犬だった。大丈夫かなと思ったけれど、オスがよかったから、触りもせずに選んだ。シャンプーをしたり予防接種をしたりなどがあるから数日後に取りに来てくれとのことだった。母が行ってくれることになった。

数日後、仕事から慌てて帰ってきて、段ボールの中をのぞいたら、犬は寝ていた。気配に気が付いたのか、目を開け、私の手の甲をぺろっと舐めて、また寝てしまった。なんてかわいらしい挨拶をするのかと一瞬で虜になった。

その2日後、内気だと思っていた犬は、ケージから飛び出して自由に家の中を動き回っていた、という母からのメールに驚いた。それからは元気いっぱいだった。ちょっと内弁慶なところがあったけれど、美味しいものをよく知っていて、気ままで、やんちゃで、押しが強くて、面白い性格をしていた。

我が家の大きな変化

我が家はそれまで、食後はすぐに解散して各自部屋で過ごすような家庭だったけれど、犬が来てから大きく変わった。食後は犬の動きを皆で観察し、語り合い、家族の時間を過ごすようになったのだ。

そうするうちに、私は母にユーモアがあることに気づいた。犬に話しかける様子とか、皆に直接言わずに犬に同意を求める形でいう発言とか。二十数年間気づかなかったのに。

私と犬の関係

仕事が忙しかったので、親に世話を任せてしまうことが多かった。また途中一人暮らしをしたり、留学したりし、犬と離れるときがあった。

犬は、母を母親、私を恋人のように思っているようなふしがあった。台風や雷が怖い時は、母がいないと寝付けなかったり。私と散歩すると張り切っていつもより運動してしまったり。

5年ほど前、半年以上家を出るときに、寂しくて泣いていたら、犬がやってきて、私の腰のあたりをぽんっと叩いて、また元の席に戻るといったことがあった。

今回駅で別れるときは、犬は呼び掛けても横を向いたままで決して私の方を振り向こうとしなかった。

後悔の嵐

もっと早くにメールに気が付いていたら、電話で声をかけることができたのに。

そもそも調子が悪いと知っていたら、駆け付けたのに。

最後は看取ると決めていたのにできなかった。

こちらに来なかったら、看取れたのに。

そもそも来ていなかったら、寂しい思いをさせないで済んでもっと長生きできたかもしれない。

もっと写真や動画を撮っておけばよかった。

犬と離れる辛さと今後の自分のことを天秤にかけた結果、日本を離れることを自分が選んだのだから、悲しがる権利もないのかもしれない。

近頃は、自分のことに夢中で、犬のことを思う時間が減っていた自分はひどい。

今思うこと

ペットロスの特徴に後悔があるらしい。ペットだけでなく、人間が亡くなったときも、後悔の気持ちが溢れる。この後悔が当たり前の心の働きだと受け入れていくと少しは楽になれるのだろうか。

犬依存症気味だった私は、一緒にいるといつも犬のことを気にしていた。犬から感じられる諦めとか、どこか満たされないようなところを、なんとかしたくて尽くしていたところがある。それは、離れることでしか緩和できなかった。

今まで犬が死ぬことを本当に恐れていて、「~の一生」のようなタイトルの犬の映画なんかみられなかった。一緒に住んでいるときは、寝ているときに、きちんと息をしているかどうかを確認していた。

だから、いつ死んでしまうのかという心配をこれからはしなくて済むというのがよい点と考えたい。

犬が死んだとき、動画で犬の様子を見せて欲しいと頼んだけれど、母はみないほうがいいと言った。みたら衝撃がもっと強かったかもしれないけれど、納得がいくのではないかなと思った。その死を受け入れやすくなるのではないかと思った。

実際その晩見た夢は、死んだ犬に会いに行く夢だった。犬は白目を剥いていた。けれど突然起き上がった。「生き返った!ケーキをもってくる!」といってその場を離れたら目が覚めた。私はその夜、あげられなかったケーキを買ってきて、食べることを弔いとした。

もし看取っていたら、私の苦しみはもっと大きかったのだろうか。分からないけれど、両親の喪失感はきっと今私が感じているのよりも大きいのだろう。居るべき場所にいないのだから。

犬のおかげで、15年弱、豊かなときを過ごせた。赤ちゃんの頃よりも、大人になってからの方がかわいくて、その愛おしさは増す一方だった。もう会えないのはつらいけれど、どれだけの喜びを家族に与えてくれたのか、感謝の気持ちを伝えたい。

追伸:その後、1カ月が経った。彼が夢に出てきたのは2回くらいか。

この間は、かなり若い頃のかんじで夢に出てきて。人間も走っているなか、一緒にすごい勢いで、人間とは段違いのスピードで周回し、追い抜かしていて。早く捕まえないと誰かに噛みついたら大変だと思っていたら、引き綱がポールに引っかかって。それをしっかり掴もうとしたら、夢から覚めてしまったのだけれど。軽く息を切らして、とても生き生きしていた犬としっかり目を合わせた。早く行かなきゃ、みたいな表情をしていた。

起きてから、あちらの世界にいったことで、好きに走れる体を再び手に入れてよかったね、幸せそうだね、と思った。そして気づいたのが、その日はちょうど月命日。この世を去ってから1か月後だった。会いにきてくれたのかな。

最初の1週間に比べたらずっと落ち着いたけれど、それでも、今も、ふとした時に感情がこみあげてきて、泣いてしまう。

ペットロスはしばらく続きそうだ。

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